日本文化としての楊名時太極拳 長谷川くみ子(長崎県支部長)

2005年2月18日〜21日

上海で地元の人たちと交流稽古をした。中国の人たちの華やかで見事な演舞を見せていただき、私たちの番になった時に音楽なしでということに、まず驚きの声があがった。私たちの静かな、そしてつたない演舞を見終えた中国の人たちが、何か遠い記憶を取り戻したように興奮して激賞してくださったのが意外で、初めてこの太極拳が中国的というよりも、すでに日本文化なのだということに気づいた。そのことについて少し書いてみたい。

中国で生まれた太極拳。中国人が太極拳をするならそこに何の違和感も問題もない。しかし日本人にとっての太極拳とは何か。間、静寂、型の美しさ、礼儀作法、禅の心、そして道。自国のことは往々にして見えにくい。中国の、文武に秀でた家系の出身だからこそ、日本を愛しているからこそ見えるものが楊名時先生にはあった。そして独自の太極拳が形成されていく。

私が気づくのは、たとえば次のような点である。

 挨拶から始まる。先生の考え出された「立禅」で心を集中させる。十字手は大きく腕を伸ばし高く上げ、24式の始めにも行う。音楽ではなく、呼吸に合わせてできるだけゆっくりと優雅に舞う。収勢では印を組む。稽古の最後にも挨拶をする礼を重んじた型をもっている。
「型はいわば用い方の結晶した姿ともいえる。煮つまった時、ものの精髄に達するのである。それが型であり道である」(柳宗悦『茶道論集』より)

現代中国は文化を大衆化していく中で簡化太極拳というスポーツを生み出す。しかし、その時にこぼれ落ちた何かがあるはずだ。それを先生は拾い上げ、日本という角度から光を当てる。

伝統的な楊式太極拳を基にしたのにも、深い理由があったのではないだろうか。もともとおおらかな大架式にさらに気功の要素を取り入れて伸びやかに、ゆったりとした呼吸で行なえるように動作を改める。倒捲肱での足の運びも足腰を鍛えるためにより高く、腕も大きく開くなど、健康増進と気功の効果を重んじた発想は大胆で自由である。そしてなにより、空手着の着用が挙げられる。

日本文化は洗練の美である。一つの事柄にいかに心を込め得るか。そして道。先生自ら「道」を追求されてきたことは弟子の私たちのよく知るところである。  「真の『太極拳』は型でいよいよ自由である。凡ての偉大な藝術の仕事は法則の発見である。太極拳道は美の法則を語る驚くべき道の一つである」(柳宗悦 ※原文の「茶」を「太極拳」と筆者が置き換えてみた)

日本に伝わった太極拳という苗に、先生によって見出された日本文化がみごとに接ぎ木され、美しい大輪の華を咲かせた。異文化は出会い止揚されてはじめて普遍的な高みに到る。日本文化に新しい一頁を紡ぎ出した楊名時先生の功績は計り知れない。

写真●上:楊名時太極拳を上海で演舞する長崎県支部のメンバー。正面が長谷川。

下:簡化24式を合同で演舞。地元の方が美しいチャイナ服で迎えてくださった。